遥か古代において、天空に火柱を噴上げる安達太良山は人々の恐れとともに信仰崇拝の対象そのものであり、熱い水を懇々と湧き出す源泉もまた、人々には“神の泉”として脅威であり、祠を作り神を祭るようになりました。
古記録によると『日本三代実録』の貞観5年(863年)10月20日の条に「小結温泉に従五位を授ける」、また『日本紀略』の寛平9年(897年)9月7日の条に「小結温泉に正五位下を授ける」と記されていますが、この温泉こそが“岳温泉”を指しており、千数百年前の平安時代、既に京の都においてその存在が知られていました。
その後、温泉の名称は“湯日”、“十文字”、“深堀”、そして“岳”と変わっていきましたが、その長い歴史には土砂崩れや火災に遭遇し、その都度場所を移し姿を変えてきた苦渋の足跡があります。